「幻想古書店で珈琲を」
このシリーズが結構好きで、最近集めています。
司君と魔法使い亜門。その人の「物語」を「本」にして集めている亜門は、その人に、今一番考えてほしいことを本に託す。
今回読んだ、「幻想古書店で珈琲を 青薔薇の庭園へ」では、部下との接し方に悩んでいるサラリーマンや、自分の才能にいまだ気づいていない書店員に、自分のメッセージを「本」に託して、気づきを与えようとする。
それに、亜門が作り出す独特な優しそうな、なんだか居心地の良い雰囲気が、小説を読んでいても伝わってきます。
そういうのが気に入って、ついつい手にとってしまうんですよね。
ということで、この記事では、
「幻想古書店で珈琲を 青薔薇の庭園へ」を読んだ感想をご紹介します。
この記事ではネタバレを含みますので、ネタバレを読みたくないという方は、このページをそっと閉じてくださいね。
・・・いいですか?
それでは、始めていきますね。
あらすじ
「第三話 司、亜門と将来を考える」
偶然出会った書店員・玉置。彼の夢は絵本作家になることだったが、未だ夢半ばでくすぶっていて、自分でも自分が書いた絵本には「何かが足りない」と考えていた。
しかし、亜門や司は彼が書いた絵本はすでに完成されており、十分な出来だと思っていた。
玉置は、他界した母から、困った時に開けなさいと言われていた箱があり、それを未だ大事に取っておいたいたが、今がその困った時だと信じ、亜門・司の手を借りてその箱を探すことに。
無事、箱が見つかり、開けてみると、「オズの魔法使い」という本が入っていた。
子供の頃に母から読み聞かせてもらった内容と、大人になってから改めて読むと、また違った感想を持った。
「オズの魔法使い」
ドロシー、カカシ、ライオン、木こり、それぞれがほしい物があり、エメラルドの都に住む、オズという魔法使いに会うと欲しい物が手に入るという。そこで、一行はエメラルドの都を目指す。道中、様々な困難に遭遇したが、カカシ、ライオン、木こりが各々チカラを出し合い、オズの魔法使いに会うことができた。だが、実はオズは魔法使いにではなく、普通の人だった。しかし、一行が求めていたものは、既に旅の道中で、自らの力で手に入れていた。一行が求めていた宝物は既に自分の中にあったということ。
玉置が、絵本作家になるべく努力を重ねていたが、実は既に自分はその絵本作家になるためのチカラが自分の中に合ったいうことで、彼は更に一歩進める勇気を持った。
司も、自分の将来や亜門との関係に悩んでいたが、自分がほしいと思っていたことは、自分の中にあるということを再認識させられた。
粗が見える時こそ、成長のチャンス
「オズの魔法使い」は子供の頃に読んだことがあります。性格には、母親に絵本として読んでもらった記憶があります。
話の内容はなんとなくわかっていたんですが、改めて考えてみると、「すでに欲しい物が自分の手の中にある。」と、
人生において、とっても大切なメッセージが込められていたんだなと、改めて実感しました。
玉置に亜門が言ったセリフ。
「自分の作るものの粗が見える時こそ、成長のチャンスなのだと聞きました。多くの人はあなたのように立ち止まってしまうものですが、それを乗り越えれば、あなたは飛躍的に伸びることでしょう」
玉置は、自分の作品には何かが足りない、魂が宿ってない。それで、絵本作家になることを諦めていたが、亜門は、それは成長の証だという。
この考え方は、どんなジャンルにでも応用できる気づきだと思う。
どんなジャンルでも、自分が何かをした時に、
「他の人とは違う。何かが足りない。」
と、思うようになることがある。
物語では、絵本作家を題材に書かれていたが、それ以外でも、自分が作り上げる小説や、絵、音楽でもそうだし、プログラム、仕様書、プレゼン資料など、仕事に関する内容でもそう。また、サッカーやテニス、野球など、スポーツのジャンルでもそう。
初めてやるうちは、物事を一つ一つ覚えていくことの楽しさから、無我夢中で覚えていくが、
ある程度覚えると、自分がやることが、他とは違う何かが足りない・・・と、感じる様になる。
考えれば考えるほど、自分の粗がよく目立つようになる。
それは、まさに、「成長の証」なんだけど、それが、「成長の証」だとは誰も自分だけでは気づかない。
それって、他の人から言われたりして、初めて、「自分が成長しているという事実が認識できる」わけです。
玉置君のように、多くの人は「自分が作るものは何かが足りない」と悩むし、そして、多くの人は「やっぱり自分じゃ無理なんだ・・・」と諦める。
玉置君の母のように、もしくは、亜門のように、「それは成長の証ですよ。」と言ってくれる人が周りにいることは、すごく幸せなこと。
でも、多くの人の周りにはそういう、アドバイスをくれる人はなかなかいないわけです。
もし、「オズの魔法使い」という本を読んだり、また、この、「幻想古書店で珈琲を」を読んだりして、
本を読むことで、自分が感じている、自分への物足りなさは、「成長の証」なんだと気づけることができれば、
本を読むことの意味が変わってくるのかなあと、思ったりします。
本を読むことで「自分が成長していることが気付ける」と言う、大きな気づきを手に入れることが出来るのは、とても幸せなことじゃないですかね。
そういえば、「ミステリと言う勿れ」という漫画にも、そういうことが書いてたなー。
そう思うと、本を読むって、その本が小説でも漫画でも、結構役に立つんだなって思いました。
まとめ
今回は、「幻想古書店で珈琲を 青薔薇の庭園へ」を読んだ感想をご紹介しました。全、三話が収録されており、今回の感想は、「第三話 司、亜門と将来を考える」の感想でした。
こうして改めて考えてみると、「本」って大切だなって思ってしまいますね。
本によって、普段の生活では得ることが難しい「気づき」を得ることができます。
このお話の玉置君のように、自分が作る作品は何かが足りない。そんなふうに考えることが出来るようになったら、それは、成長の証なんだということ。
こうした気付きは、自分だけではなかなか気付くことはできません。
「本」によって、そういう気付きが得られることができたのであれば、少なからず、「本」を読んだ意味があるって思いますね。
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