「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を見に行きました。
面白かったです。・・・というか、見てて混乱します。
ジョーカーという魅力あるキャラクターが、この映画でどう立ち回るのか、期待しながら映画を見に行きました。
もともと、ジョーカーって、バットマンという物語の中の、ヴィランとして登場しているキャラクターでした。
それが、単体で映画の主人公として帰ってきたので、僕は嬉しかったし、めっちゃ期待していました。
前作「ジョーカー」も、とてもおもしろい映画で、考察しがいのある映画でしたが、今回の映画はどういう映画だったのか。
前情報無しに、見に行きましたが、見てて「混乱しました。」
こんなに見てて、混乱する映画も初めてですね。
それと、レディー・ガガが良い味出しています。
あと、可愛いです^^
ということで、この記事では、
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」という映画を見た、僕の感想をご紹介します。
この記事では、ガッツリと「ネタバレ」しますので、
「ネタバレは見たくない!」という方は、ページを閉じてくださいね。
それでは、始めますね。
あらすじ
2年前に自身が犯した罪により投獄されたアーサー・フレック(ジョーカー)。
ある日、音楽療法を受けることになり、リーという女性と出会う。
アーサーとリーは何度か会ううちに親密な間柄になっていく。
アーサーの裁判が始まると、群衆はアーサーに賛同し、アーサーはカリスマの存在に変わっていくことになる。
現実と妄想の間
映画冒頭、突然のアニメで腰を抜かします。
「あれ、ジョーカー見に来たよね?間違った??」
いえ、間違っていないです。
アニメでは、ジョーカーとジョーカーの影の戦いを見せられることに。
その後、舞台は、アーサーが監修されている刑務所の映像が実写で変わっていきます。
ところどころに、ミュージカルを挟むような演出で、見ている自分の頭が混乱します。
「あれ、何シてるの??」
それは、アーサーの妄想を意味している・・・ということだと解釈しました。
アーサーの妄想と、現実を交互に見せられて、アーサーが日常的に混乱している状態なのかと思います。それを表したかったのかもしれません。
なぜなら、それを見ているこちらも、混乱するからです。
刑務所のシーンを見せられているかと思えば、突然、テレビショーの舞台になり、アーサーとリーが、ジョーカーのメイクで登場し、歌を歌いだす。
これが本当に、アーサーの現実と妄想を表現しているなら、混乱するのも無理はないでしょう。
きっとこの映画は、アーサーが感じている混乱っぷりを表していたのかもしれません。
この映画のヒロイン:リーことリー・クインゼルはレディー・ガガが演じています。
ときに可愛らしく、ときに危なっかしく、そして、かなりキレイで凛々しい姿です。
絵的に、「使い古された刑務所」と、そこに収監されている「むさい男達」と「おっさんの刑務官」が多く映し出される映画なので、その中でも、「レディー・ガガ」は男性として、目の保養となります^^;
そして、アーサーと、リーと二人でミュージカルのように歌を歌いだすシーンでは、
リーの歌が、めっちゃうまいです。
正直、このシーンだけでも価値があると思ってしまうほど、聞き惚れる程にうまいです。
さすが、レディー・ガガといった感じです。
ジョーカーの恋人といえば、「ハーレー・クイン」なんですが、
今回の映画では、「ハーレー・クイン」という名前はどこにも出てこなかったんです。
でも、「ハーレー・クイン」が持つ可愛らしさ、美しさ、危なっかしいほどの妖艶さが、
今回の「リー」だとすると、「レディー・ガガ」という配役はとても適役だと思いました。
今回の映画についている副題「フォリ・ア・ドゥ」って、
フランス語で「二人狂い」を意味する精神疾患の名称です。
日本語では「感応性妄想性障害」
一人の妄想が他の人へ伝搬することによって、妄想性障害が他人と共有されるという障害です。
今回の「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」では、
アーサーの妄想がリーへと伝搬。その後、カリスマとなったアーサーは、民衆へとその妄想が伝搬していくことで、祭り上げられてしまった、
ということを意味していると思います。
確かに・・・、
裁判中に、マスコミを通じてその妄想が伝搬していくことになったり、
刑務所でも、仲間の囚人に気持ちの高ぶりが伝搬していくシーンがあったりと、
幾度となく、アーサーの気持ちが他の人へ伝搬していくようなシーンがあるので、
副題「フォリ・ア・ドゥ」という様に、妄想が他の人へと繋がっていく様なシーンは、たくさんありました。
そして、「妄想」を意味する、ミュージカル的な雰囲気も沢山挿入されていくので、レディー・ガガの美しい歌声と、映像の混乱で、
映画を見ている僕は、頭の中が混乱しつつも、「アーサーがだんだんヤバい方向へ行ってるんだな」と思い始めて来ます。
それと、映画の題名はジョーカーですが、きっとアーサーというキャラクターはジョーカーという名前を冠するほど、ジョーカーになりきれなかったのだと思います。
僕が思う、ジョーカー像と、この映画のアーサーは、かけ離れていました。
もちろん、アーサーは「ジョーカー」になろうと、頑張っているフシはありました。
裁判を見ているリーにも期待されているし、ジョーカーの賛同者も、今後のアーサーの行動に注目していたわけですから。
でも、アーサーはジョーカーにはなりきれなかった。
ジョーカーでいるよりも、「アーサー」のほうが強かったのだと思います。
結局のところ、アーサーは元同僚が言うように、「人にやさしくできるヤツ」だったわけで、
最終的には、ジョーカーでいるより、アーサーでいる事を選んでしまったわけです。
じゃ、この映画の題名「ジョーカー」って何なのよって話ですが、
あくまでも、きっとこれは「ジョーカーの誕生秘話」だと思います。
映画の最後で、裁判が終わり判決がくだされたあと、アーサーはいつもの刑務所の生活に戻ります。
ある日、アーサーに面会が来たと伝えられ、面会にさなか、若い囚人がアーサーに声をかけます。
こいつが衝撃的な結末を迎える要素で、最終的にこの若い囚人が、自分の口の端を切り・・・
きっと、こいつが、後にバットマンと対峙することになる、本物のサイコパス野郎「ジョーカー」なのかな?と思います。
アーサーに感化され、アーサーの妄想を共有されたけど、当のアーサーは途中で、ジョーカーになりきれず、自分の期待を裏切ってしまったアーサー。そして若い囚人が、自分が「ジョーカー」になろうとした。
そんな、若いサイコパス野郎が「ジョーカー」になるための物語・・・ってことなのかな?と、
自分なりに結論付けました。
まとめ
きっと、この映画の評判は、「めっちゃ面白い」という人もいれば、「全然おもしろくない」と思う人と、両極端になりそうな気がします^^;
みんなが思う「ジョーカー」らしさが、あまり無い映画といえばそうなんです。
でも、映画を見ることで、その妄想と混乱と狂気を味わえる様な、「ジョーカー」という映画は、あとからジワジワと面白くなっていく映画です。
僕的には、映画を見終わったあと、「ナニコレ?僕が思っていたジョーカーじゃない??どういうこと??」と疑問がいっぱいでしたが、
見たあとに考察を交えつつ、情報を仕入れて行くと、面白さが倍増。あとから面白くなって、また見たくなるような映画となりました。
それに、考察好きの人にはたまらないような映画だと思います。
考えてみると、前作の「ジョーカー」も、映画見たあと考察サイトを見てめっちゃ楽しんだし、
そういうコンセプトを引き継いだ映画なんでしょうね。
あと、衝撃のラストは、めっちゃ解釈のしかたがあるので、どう考えるかで、今後の振り方が変わって行くのかなー。
このあと、バットマンとかも出てこないかな・・・と、期待するんですけどね。
前作では、ちっちゃい子どもの「ブルース・ウェイン」が登場しているし、無い話では無いと思うんですけどね。
今後、どうなっていくか、気になりますね。
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