久しぶりに気になって読み始めました。
新世紀エヴァンゲリオン。
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当時は、1995年
ノストラダムスの大予言まであと5年と迫る中、物語では2015年と、少し未来の事が書かれている。
しかも、ガンダムのようなロボットアニメと思いつつも、少し捻った物語と、先が気になるような展開で、
当時は、めちゃくちゃ楽しみにしながらアニメを見ていました。
そんな、エヴァの漫画版です。
これも、当時めちゃくちゃハマりました。
といっても、漫画を購入せずに、全巻立ち読みで済ませたんですけどね。
購入してじっくり読むことはなかったので、
中古で見つけたので、今回は購入して、じっくりと読むことにしました。
今読んでみても、やっぱり面白いですね。エヴァは。
ということで、この記事では、
新世紀エヴァンゲリオン1巻を読んだ僕の感想をご紹介します。
この先は、ネタバレを含みますので、
「ネタバレは読みたくないぜ」という方は、ページを閉じてくださいね。
いいかな?
それでは、新世紀エヴァンゲリオン1巻を読んだ僕の感想をご紹介します。
あらすじ
15年ぶりに使徒が出現。国連軍の攻撃が全く通じず、指揮権はネルフに渡される。使徒はジオフロントを目指して侵攻。
その頃、ミサトとシンジが出会い、シンジはエヴァ初号機と対面する。
3年ぶりに父親と再開したシンジ。その父親からいきなりエヴァ初号機に乗って使徒の撃退を命じられる。
シンジが搭乗したエヴァ初号機が発進するも使徒の攻撃を受け完全に沈黙する。
しかし、エヴァ初号機が暴走。シンジは無意識のうちにエヴァを操り使徒を倒してしまう。
病院で目覚めたシンジ。父親から言葉をかけてもらえず。
ミサトが迎えにきて、夕日に染まる第3東京市を眺めながら、ミサトの言葉に涙を流すシンジ。
中学生を追い詰める大人たち
1995年にアニメ放送。漫画版も1995年発行と、僕は当時19歳で、新感覚のアニメに胸を躍らせながら楽しんでいました。
当時は、どちらかというと、シンジ君と歳が近かったんで、シンジ君の気持ちに割と共感しながら読んでいたんですが、今やもう、碇ゲンドウと歳が近くなってしまいました。時代の流れを感じてしまいます・・・
碇ゲンドウの公式年齢は48歳。ついに碇ゲンドウと同い年になってしまいました。
「新世紀」と書いていますが、年代は2015年。既にエヴァの「ちょっと未来」を超えてしまった現代2024年ですが、漫画で書かれているミサトのガラゲーも、なんとなく時代を感じてしまったりしています。
とは言っても、第3東京市の様な、「超近代都市」みたいな都市なんてあるはずもなく、当時の考える未来と、今を照らし合わせながら、今でも楽しく読める漫画として、久しぶりに読みました。
しかし、この歳になって改めて読んでみると、碇ゲンドウの息子に対する対応が「すごく冷たい」。
僕の場合は、今まさに中学生の子供が二人います。
親子の仲は良好だと思っています。そんな僕が見た碇ゲンドウの子供に対する態度は、ちょっとひどいです。
実の子を「予備」と言い、命がけで戦うことを強いり、戦い終わった後、ねぎらいの言葉をかけず、一瞥して終わるという。
子育てしている僕から言わせると、
「こいつ、だいぶ性格ネジ曲がってんなー」と思ってしまいます。
シンジ君は、父親から、ねぎらいの言葉をかけてほしかったみたいなので、反発するような態度を取っていても、息子なんだなと思います。
しかし、そんなシンジ君の気持ちは、碇ゲンドウには届かず、必要なこと以外は全くコミュニケーションを取ろうとしない父親ゲンドウ。
ま、こういう父親は昔はそんなに珍しいものでも無かったと思います。
仕事に全振りした父親と考えれば、昭和時代の父親の多くは、こういうタイプの父親は沢山いたと思います。
僕の父親も他の父親と同様「昭和の父親」でしたので、仕事優先ではありましたが、それでも、休日は半ば強制的に祖父母の農作業に連れて行かれ、一緒に手伝わされたり、父親の趣味でもある「釣り」に連れて行ってもらったり、
今考えると、父親なりに息子とのコミュニケーションを取ろうとしていたんだなと思っています。
そう考えると、碇ゲンドウの場合は、10年ほったらかしの状態。
碇シンジくんが14歳なので、4歳の頃に会ったっきりの父親となる。
普通ならそれでも、子供とのコミュニケーションは取るだろうし、子供のことを「予備」とは、言わないでしょうね。
エヴァ1巻だけを読むと、碇ゲンドウは、息子シンジ君の事を、本当になんとも思っていなくて、「初号機のパイロットの予備」としか考えてないと、読み取ってしまします。
碇シンジ君からすると、4歳の頃会ったきりの父親に、イキナリ呼び出されるなんて、僕だったら、会うのも億劫だと感じてしまうかもしれません。
それでも、素直に会いに来るシンジ君なので、預けられていた親戚の家から出たかったのか、もしくは、少なからず、父親ゲンドウに憧れがあり会いたかったかもしれません。
それと、シンジ君の周りの大人もどうかしていると言わざるおえない。
なんの説明もなくエヴァの前に連れ出されたシンジ君に、突然、久々の再開を果たした親父から、「お前が乗れ」という一言。
その後、綾波レイの痛々しい姿を見せ、「お前が乗らないと、この子が乗ることになる」とシンジ君の良心を抉るような、半ば強制的に乗るように促し、
さっき会ったばかりのミサトさんに、「エヴァに乗らないあなたは、ここでは用の無い人間」とまで、言われる始末。
しかし、よく考えてみてほしい。
シンジ君はエヴァ初号機に対面するまで、事前に説明なんて受けていない。
第1話冒頭、駅で待っているシンジ君も、「今になって、何の用があるというのだろう」と言っているし、
車中、ミサトさんに「父は何のために僕を呼んだんですか」と質問しているぐらいなので、
碇ゲンドウは、息子・シンジに何の説明もせずに、ただ呼び寄せただけなのだ。
そんな14歳の子供に突然「エヴァに乗れ、使徒を撃退しろ」と言い、乗らないと人類は終わりだとか、乗らないお前は用無しだとか、言われりゃ、
「はいはい、乗れば良いんだろ、乗れば。」って、
半ばやけくそ気味な気持ちになるのは、至極当たり前の話である。
それでも、文句を言いながらもエヴァ初号機に搭乗したシンジ君は素直な方であると思う。
シンジ君だって言いたいことはたくさんあるでしょう。僕でもそうなる。
正直僕なら、「いやいや、乗らないよ。つうか、役立たずなら俺帰るから」とさっさと帰る選択をするだろう。
まぁ、それでもだ。
中学生ぐらいの男の子が巨大ロボットに搭乗して、向かってくる敵を倒すという物語が、一番熱い展開になるし、見ている方も興味が湧く。
当時の19歳だった僕も、この展開が面白かったし。
イキナリいかつい軍人が出てきて、普通にロボット乗って、敵を倒してたんじゃ、面白くないでしょう。
それに、有名なアムロだって、初めてガンダムの乗ったのが15~16ぐらい。
それを考えると、中学生ぐらいの男の子が、望んでいないのにロボットに乗って戦うぐらいの物語の展開のほうが、見ている方は面白く、手に汗握るわけです。
そして、ご多分に漏れず、シンジ君もなんだかんだ言いながら、エヴァ初号機に搭乗し、使徒との戦いに勝利します。
どちらかというと、シンジ君の実力というより、エヴァが暴走したことで使徒に勝てたという感じです。
操縦初心者の碇シンジ君には期待していたとは思えないので、
暴走することを予想していたということでしょうか?
あのまま、暴走しなければどうなっていたか?
そもそも、シンジ君が乗らなければどうなっていたか?
碇ゲンドウはどうも不安定な要素に重点を置きすぎているのでは?と、1巻を読み直して、そう思ってしまいました。
指揮権が、国連軍からネルフに移ったとき、「そのための、ネルフですから」と、かなり自信満々に言っているが、
その自身の拠り所は、明らかに自分の息子・シンジ君だと思われるます。
しかし、そのシンジ君が、ネルフに移動する中で、様々な障害に出くわす。
そもそも、駅で待ち合わせの最中、使徒が襲来し国連軍が対抗処置をしているため、特別非常事態宣言が発令され、「シェルターに避難してください」とアナウンスされています。
正直言うと、僕なら迷わず、待ち合わせなど放っておいて、近くのシェルターに避難するだろう。
自分の身を守ることが最優先なのだ。特別非常事態宣言が発令されているのだから、そうするのが最優先だろう。
いつ来るかわからない待ち合わせ相手に合わせない。それに、特別非常事態宣言なのだから、待ち合わせ相手も来るかどうかもわからない。
そんな中、自分の身を危険にさらしながら、駅で待つなんてことは普通しないでしょう。
シンジ君が無事、ミサトさんに出会っても、ネルフ本部までの障害は続きます。
まさに使徒と国連軍の戦闘機、そして、レイが搭乗するエヴァ初号機との戦闘に出くわすのだ。
そのさなか、車がひっくり返りながらも、なんとかネルフ本部へ移動する。
事故やミサイルの爆風で、入院が必要な事故、怪我に見舞われる可能性も十分に有り得る。
というか、そのぐらいの中を車で駆け抜けているのだ。普通はそうなると思う。
・・・と、このように、ネルフ本部に付くまでにシンジ君とミサトさんは、様々な障害に出くわすのだ。
もし、その中で、ネルフ本部までたどり着くことができなかったら、
そもそも、特別非常事態宣言だからといって、シンジ君が近くのシェルターに避難してしまっていたら、
碇ゲンドウの言う「予備」は使えなかったはずだ。
そして、その「予備」が使えなかった場合、綾波レイがエヴァ初号機に搭乗して自体を解決する必要があるが、到底それが可能だとは思えないし、
最悪、エヴァ1巻で、使徒の侵攻を許してしまう可能性も合ったのだ。
その可能性を考えても、碇ゲンドウのあの自信満々の
「そのためのネルフですから」のセリフは、理解できない。
使徒に勝つための不確定要素が多すぎる状態で、良くもあそこまで自身満々にできるものだと、
改めて関心してしまう。
碇ゲンドウのあの自信満々な態度と、冷酷な物言いを考えると、
僕が同じ48歳になっても、「碇ゲンドウを超えることは出来ないな」と改めて感じてしまうのでした。
まとめ
この記事では、
「新世紀エヴァンゲリオン1巻」を読んだ、僕の感想をご紹介しました。
当時は、シンジ君の年齢と近かったため、シンジ君に感情移入しながら、見ていたんですが、
年月が過ぎ、碇ゲンドウと年齢が近くなってしまいました。
しかし、碇ゲンドウには感情移入は出来ませんでしたね。
息子とのコミュニケーションの無さ。息子を「予備」と言い、命がけの戦闘を強いること。それに、戦い終わった後も、一瞥だけして言葉も掛けない無関心さ。
僕は碇ゲンドウには共感できそうにありませんね。
でも、そんな碇ゲンドウだからこそ、この後の物語を面白くさせる要素でもあると、思っています。
そして、改めて思いました。
シンジ君がチョット可哀想です^^;
まぁ、これも、今後の物語を面白くさせる要素でもあるんですけどね。
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