ラプラスの魔女~それは魔術じゃなくて予測です

本の感想

最近、ライトノベルばっかり読んでいたので、久しぶりにガッツリと東野圭吾の面白い小説読みたいなーと思っていたら、

書店でおすすめ棚にあったのが「ラプラスの魔女」でした。

Bitly

直近で読んだ東野圭吾って「ガリレオ」ばっかりだったので、ガリレオじゃない東野圭吾を読むのも久々だなーと楽しみに読みましたが、

これは、面白かったです。

色々と謎が解明されていく中で、実はアレとコレがこういうことだった・・・ってことがわかったときに、

ゾワゾワっ~~~~~ってしました。

やっぱ、東野圭吾の書く物語は面白いですね^^

そういえば、ラプラスの魔女は映画化にもなりましたね。

Bitly

こちらは、まだ見ていないので後で見たいなって思っています。

ということで、この記事では、ラプラスの魔女を読んだ僕の感想をご紹介しています。

ネタバレを含んでいるので、「ネタバレは見たくない!」という方は、ページを閉じてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいかな。

それでは、「ラプラスの魔女」を読んだ感想をご紹介しますね。

 

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あらすじ

とある地方の温泉地で硫化水素中毒による死亡事故が発生。青江教授は警察の依頼で事故現場で調査していると、若い女性・円華に遭遇。
しばらくしてから、遠く離れた別の温泉地でも似たような事故が発生し、調査のために赴いた青江教授の前に、以前に遭遇した円華に出会う。
二つの事故に共通点はあるのか?二人の被害者の共通点はあるのか?青江が調査していく中で、円華は青江の前で不思議なチカラを発揮し始めるのでした。

父は強かった!

少しずつ物語が進むに連れて、謎が解明されていき、最後にすべての謎が明かされた時に、驚愕の真実が・・・!

的な、こんなふうに話は進んでいきます。

不思議な雰囲気を持つ円華(まどか)。

彼女の能力は周りの環境から空気の流れや水の流れを読むこと。
最初、「なんのこっちゃ?超能力か?」と思っていた能力でしたが、実は周りの変化から計算されて理解していたとのこと。
何分後に雨が降るか、何分後にどの方角から風が流れていくか。そういうことを周りの状況から脳内で瞬時に計算する能力ということ。

いや、ほんと、まじですげー能力ですよね。それ。
ただ、こういう能力を簡単に「超能力」ってことにしないで、計算処理が高速にできる脳を作ったっていう設定が、東野圭吾っぽい部分だなって、思いました。

それと、同じ能力を偶然にも「事件」によって得られてしまった、甘粕謙人。
そして、そのキッカケとなる「事件」を起こした張本人、父の甘粕才生。

その二人の対決が見ものでした。サイコパスな父に復習をしたかった甘粕謙人でしたが、最終舞台では円華に邪魔されてしまった。

でも、後日、甘粕才生が「自死」してしまったとの報道があり、もしかすると、甘粕謙人が裏で糸を引いていたのでは?と思われるような状況でしたが、

それは、詳しくは解説されていませんでした。

この事件に、巻き込まれてしまった(もしくは、自分で突っ込んでいった?)青江教授は、この最後の結末に、甘粕謙人が何かしたんじゃないか?と思っていたみたいだけど、

最後まで詳しい結末は語られませんでしたね。

読者に「最後は考えてみて」と投げかける感じも、読後も楽しみがある物語を言えますね。

とはいえ、実社会にもあるような父と息子の対決とも言える、「ラプラスの魔女」です。
全てに完璧を求める甘粕才生。自分の家族が理想通りにならず、家族を亡き者にし、理想の家族像をブログの中に残すことで、自分の理想を完璧なものにしたと考える、そして、自分の妻と娘が亡くなった後も、ストーリーを付帯して、それさえも映画の題材にしてしまうような、

そんな、とんでもないサイコパス野郎の甘粕才生は、情状酌量の余地もございません。

気持ちいいほど、サイコパス野郎の甘粕才生。そんな甘粕才生に、事件によって障害を残してしまった息子、甘粕謙人がいます。

事件に巻き込まれ、甘粕謙人が植物人間状態になってしまう。そんな彼を手術して見事に回復させたのが、円華の父の脳外科の医師でした。

そして、回復したと同時に甘粕謙人は、風や水の流れを瞬時に計算できる能力を身に着けることができた。

甘粕謙人はその能力を使い、父が起こした事件に協力した人間を亡き者にしていき、そして最後に父に手をかける予定だった。

でも、息子にどんな能力が身につけようとも、やはり父は強かった。息子にやられるだろうと思っていながらも、堂々とそこに赴いて、息子の前に立ちはだかるその姿は、何事も完璧じゃなくてはならないという、サイコパスながらも一貫した姿勢を貫いた、甘粕才生の態度は、なんとも清々しいほどでした。

最終的には、父・甘粕才生は自死という形で終わったが、簡単にはやられない父・甘粕才生は、彼のやったことは決して褒められないことではあるが、最後まで一貫した理想を貫いた、ある意味、男らしく?もあった姿なのかも知れないな・・・とも、思いました。

ま、自分の理想のために、家族に手をかけるなんて、とんでもないサイコパス野郎ですけどね。

この物語では、配偶者や、子供に対する愛情も、脳にある一つのプログラムに過ぎないと解説しています。
たしかに、言われればそうですよね。かわいい、守りたいと思う我が子に対する愛情は、脳が決定付けているので、脳が「愛情」を勝手に思わせている、神経のプログラムの一つに過ぎないというのです。

そして、甘粕才生には、そのプログラムが完全に欠落していたと言っています。つまり、家族に対して、かわいい、守りたいなどという、一般に親が思うだろう愛情の部分を感じることが無いというのです。
それも、脳が愛情を感じることができないという「障害」とも言えるとのことで、甘粕才生にはそういった脳の障害があるようでした。

もしかすると、現実世界でも、家族に手をかけたり、子供に対して全く愛情を感じることができないような人は、実は、そういった脳の障害を抱えている可能性があるかも知れませんね。

それに、我が子をかわいいとか、守りたいとか思う愛情が脳に埋め込まれた一つの「プログラム」に過ぎないとか言われても、

やっぱり、我が子を見ると、可愛いとか、守りたいとか、愛情を感じるのは、それが「プログラム」だとしても、心が暖かくなるので、

なんとなく「僕は大丈夫」って思っちゃいますね。

自分のことではあるが、最近では、息子に「ゲームばっかりで全然勉強しないから、ついつい小言を言ってしまう。」のも

愛情かなと思ってしまいます。

・・・と、「ラプラスの魔女」を読んで、自分の親と子の絆を再確認したのでした。

まとめ

この記事では、「ラプラスの魔女」を読んだ僕の感想をご紹介しました。

甘粕才生のブログをキッカケに、いろんな事実にたどり着いたとき、身の毛もよだつような、甘粕才生の考え方に、

「ゾワゾワ~」

と、読んでいて感じました。

理想と異なる家族像だからといって、甘粕才生の考え方は決して褒められたもんじゃありませんけど、

あるいみ、清々しいほどのサイコパス野郎だとも思いました^^;

それと、作中に登場する円華ちゃんですが、見た目から、「広瀬すず」っぽいな~と感じていたんですが、

映画で円華を演じるのが「広瀬すず」でした。もしかすると、東野圭吾は、映画をやるんだったら円華役を「広瀬すず」にと考えていたのかな~と、思いました。

今度は映画を見てみたいですね。

僕が読んだ小説はこちらです。

Bitly

映画はこちらから見れるようですね。

Bitly

映画と小説の違いを見つけるのも、一つの楽しみですね。

 

コメント

  1. 神崎和幸 より:

    こんばんは。

    自分も「ラプラスの魔女」読みましたよ。
    面白いですよね。
    意外な設定と二転三転するストーリーが良かったです。
    そのうえ物理や脳科学という発想を秀逸だと思いましたよ。

    • はま@もちょこい話題 はま@もちょこい話題 より:

      神崎さん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。

      > そのうえ物理や脳科学という発想を秀逸だと思いましたよ。
      そうですよね!
      簡単に「超能力」とか「魔法」とかしないで、
      科学的な能力としているところが、良いですよね^^
      さすが、東野圭吾って感じました。

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